なにかが、残る。

写真洗浄ボランティアに行ってきた。
誤解を招くようなことは書きたくないのですが、
正直、私は震災に限らず、どのボランティアにも積極的ではありません。
思うこと、行動することは人それぞれに正しさがあり、
それには正解や不正解はない。
だから、ボランティアは難しい。とても。

ただ、少なからず写真をやっている者としては
知っておく必要があるかもしれない、という気持ちがあり、
その興味すら自分のエゴであると承知の上で参加してきた。

私の担当したカラー写真は、正直かなり悲惨な状態で
水に入れるだけで、どんどん色が溶けていってしまう。

与えられた仕事にキビキビ動く人、抵抗を覚えて手が止まる人、
制限時間が決まった現場には、色んな思いが入り交じって、どれにも戸惑いを覚えた。
喜ぶべきか、悲しむべきか、複雑な気持ちだった。
何が写っているのかわからなくなってしまう写真に「ここまでダメなのか」と落胆し、
奇跡的に残る写真に、安堵するような、心が震えるようなものを感じた。
思った以上にかたちがなくなってしまうことに、
そのまま放っておくわけにもいかないのは、十分わかっているけれど、
(もちろん洗う前にデジカメで絵は保存をしている、が)
既にその「洗う」という行為すら私は抵抗を覚えた。

けれど、全て色が溶けてしまい、そこに残された白いペーパーにも
「なにもなかった」状態ではない輪郭の跡(筋)がうっすら残っていた。
「なにかが写っていた」「なにかを撮った」ものが残されていた。

個人的意見だが、
出来ればそれをご供養するために除外していくのではなく、
何かしらのかたちで残して欲しい。
もしくは、そこに残されているものも、何にも写ってなかろうと
誰だか、何だかわからなくても「洗った」のだから
それも一緒に残して届けて欲しいと思った。
(あくまで個人的意見であり、今回富士フィルムに賛同して参加したため
反対意見を投じるものでは有りません。今後の処理については富士フィルムに一任します)

作業を終えて外へ出ると
行きには曇っていた空が晴れ、陽が出ていた。
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by miyuki-jun | 2011-10-18 23:19 | 写真